音楽の編み物

シューチョのブログ

尾高/大フィルの松村禎三「管弦楽のための前奏曲」

214日、大阪フィルハーモニー交響楽団585定期演奏会

 

私の目当てはもちろん松村禎三管弦楽のための前奏曲」。松村作品の実演に接するのは、NHKso交響曲12番,ゲルギエフ/キーロフ歌劇場oの「前奏曲」、カレッジオペラハウスoのオペラ「沈黙」(2回)を経て、やっと5回目になります。

 

プログラム曲目の演奏に先立ち、故・秋山和慶氏への献奏が行われ、尾高忠明十八番の「ニムロッド」を思いがけず生で聴くことができました。

 

先に、今回のカップリングであるブルックナー4について。普段から松村を「東洋のブルックナー」と形容する私(注)にとっては、「前奏曲」と並べる曲として、ゲルギエフの時のマーラー9よりもふさわしいと思いました。が、肝心の演奏は、ウーン、やや淡白に過ぎるように私には感じられ物足りず。また、座席は2階最前列下手寄りでしたが、(フェスティバルホールは)残響が増えた分、その重なりがマイナスに出たのか、tutti 強奏がこもった感じに当たってきて、耳についてしまい

 

ところが、前半=メイン(笑)の松村では、上記の「響きのマイナス感」などは不思議とまったく感じられず、「アジア的な」「生命の根源から発するエネルギー」という作者自身の言葉通りの迫力が生まれていました。クライマックスの最強奏は圧巻。「大フィルも出来るんや!」と嬉しくなりました(失敬むろんのこと100%リスペクトの本心を冗句にして申しております)。「交響曲(第1番)」や「ピアノ協奏曲」等の動的な曲想に比べれば幾分静的な「前奏曲」の、時空が止まったまま進むようなその最密充填の音楽音響に、ただただ心身を預けて浸りきることができました。

 

「不思議と」と書いたものの、上記「マイナス感」について思い当たるのは、やはりまず作品内容の充実度の差です。第5、第8、第9辺りならば釣り合ったのでは。とまぁこれは松村贔屓の私の言い分でして、冷静な観点からは、両曲の編成・オーケストレーションの違いによるもので、ともかく、ブルックナーには座席位置がおそらく不利に働いたのだろう、とも考えられます。

 

宇野功芳ブルックナーについていう「宇宙の鳴動」「森羅万象の響き」を私は松村作品にも感じるからです。宇野先生の生前にこの自説を直に聞いてもらう機会に恵まれ、得意気に語ってみたものの「(ブルックナーと松村では音楽が)ぜんぜん違うんじゃないか(笑)」と一蹴されたのも今となっては愉しい思い出です。