音楽の編み物

シューチョのブログ

ブルーノ・ワルター『音楽と演奏』(渡辺健 訳、音楽之友社、2013年新装復刊)

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『主題と変奏』『ブルーノ・ワルターの手紙』と並ぶ、ワルター三大翻訳書の一つ。大学生の頃、『音楽と演奏』だけが長らく品切となっていました。確か大学の図書館などにも見当たらず…。で、そうなると、『変奏』『手紙』を読み終えていたわけでもないのに、何としても読みたいという気持ちを抑えられず、某音楽系大学のピアノ科から大学オーケストラに来ていた(注)クラリネットの後輩の女の子にその大学の図書館で借りてもらい、それをこっそりまた借りして読みました(時効ということでお許しあれ…)。その後、インターネットの普及に伴い、古書を手に入れた時に改めて通読、そしてさらに時代が下って、没後50年記念をきっかけにようやく復刊し新品を入手。で、今また品切中。古書は出回っています。

  

注:大学オーケストラに、他大学の学生が入ってきて活動する、ということも珍しいことではなく、学年毎に数人はいました。

 

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だから、そのさいわたしが念頭においているのは、けっして音楽家ばかりではなく、音楽を愛し、音楽のなかで生き、音楽を、欠かせぬ魂の糧とするすべての人びとなのである。

===12頁===

 

この一文には、ワルターが、今、目の前でこの自分のために語ってくれているような感覚を覚えて嬉しくなり、また、背筋が伸びたものです。

 

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作品のもつ熱気・優美・憂愁・情熱を効果あらしめるには、演奏者自身の熱気・優美・憂愁・情熱をもってするほかに、いったいどうしたらよいであろうか? 演奏者は、自分自身が意味深くあればあるほど、作品を強力に再現することができる。[……]要するに──グスタフ・マーラーに関するわたしの著作のなかで指摘したように──偉大な創造的他者の作品にせまり入ってそれを広く告げ知らせることができるのは、意味深い再創造的な自我だけなのである。

===30頁===

 
特にオーケストラなどの場合、指揮者不在の演奏に必ず欠けているものが「指揮者の自我」です。さらにそれも、当然ながらただあるだけでは不十分(笑)で、「意味深い再創造的な」ものでなければならないということですね。…補足したいことも多々浮かびますがここでは深めずにおきます。