音楽の編み物

シューチョのブログ

猫猫寺で歌うよ〜!!カイマナふぁみりーライブ♪

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久しぶりに、カイマナふぁみりーのライブに足を運ぶことができました。
 
震える感動、ほんものの歌、音楽。
 
──以下、どうみても書き過ぎ、野暮です(頭掻)。ご容赦。各曲の具体的な場面に立ち入って触れたいのを辛抱してさえ、この長さ。それでいて、逆に、一つの芸能芸術の内容は、それへのどんな解説感想よりもそれ自体の方が必ず繊細で豊かで、全貌はとても書ききれるはずもないこともまた事実です。それでも、一度は僕の観点で僕からの“海愛愛(カイマナ愛)”を存分に書いてみたい、とずっと思ってきましたので、この勢いのまま投稿しておきます。──
 
カイマナふぁみりーの音楽は、旋律造形・伴奏・和声…そのどれをとってもそれぞれの理想を追って練りに練られています。
 
彼らのレパートリーの一つの柱は、主に70・80年代の「昭和の名曲」のカバーの数々。パパのアレンジによって、リオさんのボーカルを中心に、初めから終わりまでどこから食べても美味しい、中身の詰まった音楽としてリニューアルされ、「懐かしいし、新しいヨ(タイセイさん)」の言葉通り、まさに“今、新しく”響くのです。
 
パパやママのサブボーカル部分の一節からして、一音たりとも疎かにされず最適解が選ばれる。和声としてよりよく映えるよう、かと思うと、それぞれの声域が最も活かされるよう和声の中で受け持つ音を巧みに入れ替えたり戻したり…だけでなく、2人または3人のユニゾンのパワーの良さも忘れず盛り込む…。
 
伴奏はというと、歌声が止むところですかさず、いや、しばしば同時に、驚くほど細かく多い音で雄弁にものを言ってくる。リオ、タイキ、タイセイ、3人のアコースティック*ギターの、何ともすごいこと!初めて目にすれば開いた口がふさがらないでしょうし、僕は今は口こそたぶん閉じてますが未だ馴れることなくただただ引き込まれます。しかも、以前感じられた「小中高生がこんなに弾く」という“テクニック披露”の面が薄れ、むしろすごさに気づきにくくなるほどふぁみりーの音楽全体の流れに一体化して自然になってきました。驚きの進化。そこに、ママのキーボードがふと洒落た音型で応え、見守るように重なってくる…。そしてDTMによるドラムのリズム。指揮者である僕の普段の感じ方をいえば、様々な音楽ツールの中で“メトロノーム族”は“敵キャラ”の代表格(笑)。ところが、カイマナふぁみりーの圧倒的なライブパフォーマンスの前には、何とこの辺りのことさえもがほとんど吹っ飛んでしまう。テンポ(の変化)をその時その場で操り造形することこそが指揮者の命、であるはずなのに…我ながら不思議です。スタートのキーを叩くタイキさんの指先の魔法なのかも!ともあれ、「〇〇たるもの、こうあるべし」的なことに囚われることも、音楽する者にとってこれまた“大ボス”のはず。ちゃんと耳を傾ければ、事前であるにせよ設けた(変化を含めた)テンポ自体の絶妙のセンス、後奏でいつの間にか外され、ライブの間合いでrit.する、等々も聴き取れる。カイマナふぁみりー(パパ)はここでも緻密です。「道具に使われない」という人間精神の具現化を、普段の僕の意識とは真向かいの対岸から発せられ、「おぉそうか、結局同じ所を向いているのか」という…、やや大げさながらそんな思いでいます。
 
*注:PAは通されます(エレアコというのでしょうか)。
 
さて、以上のような溢れる情熱と工夫が隅々まで惜しみなく込められた素晴らしい編曲と演奏、それらによって、いっそう、いよいよ、歌詞の世界も引き立っていく。
 
ボーカル・リオの染み入る歌声。魂の叫び。叫びでありながらどこまでも澄みきった、女声の美。そうして、歌詞が、ほんとうの意味で、聞こえてくる。届いてくる。
 
滝廉太郎さん、あなたには今日もまた、天を仰いで歌う彼女の「荒城の月」が聞こえたことでしょう!届かないはずがない。
 
そして、カイマナふぁみりーの代名詞といえる、カバー曲の代表レパートリーが今回もやはりしめくくりに歌われました。いつ聴いても、驚きの大迫力・躍動・人間賛歌・自然賛歌。これだけでもいい、音楽を愛するすべての人に知ってほしい。メッセージも、知ってほしい。
 
レパートリーのもう一つの柱=オリジナル曲がまた、ほんとうにすばらしい。
 
銀河に恋して…私的さと雄大さを併せ持つ不思議な歌詞の世界。星空の静寂を感じます。カバーもオリジナルも徹底して短調の作品であることはカイマナふぁみりーの大きな特徴。短調の情熱性ドラマ性が、僕も大好きです。ところがこの曲では終止和音のみ長三度の和音で結ばれる。バッハのようです。カイマナとしては確か非常に珍しいことで、深い余韻を残します。
 
真夜中のおもちゃ箱…シューベルトあるいは山下毅雄を思い起こさせる意外でハイセンスな転調(「銀河に恋して」にも垣間見えた)。一級の音楽作品。忘れられたおもちゃの気持ちを綴るというファンタジーな歌詞も素敵です。
 
太陽がいっぱい…曲は上記2曲と対照的に、音楽の三要素ともシンプル、いい意味で典型的で、それによって歌詞に込められた訴え・願いがストレートに効いてきます。
 
猫猫寺…今回のライブ会場のことを歌った、楽しい佳曲で、ニャンニャン踊りたくなること間違いなし…だけかと思いきや、曲の構成には凝った工夫が随所に仕掛けられ、あなどれない。また、サビの歌詞には「太陽がいっぱい」にも共通するメッセージがふと込められ、グッとくる。
 
まだ書きます(笑)。
実は今回の僕にとっての大トピックの一つは、
メインボーカルをパパが務めるあの曲でした。
 
日本ポピュラー歌謡史上最大の男声歌手・子門真人。その代表曲の1つをパパが歌う。目の前のカイマナふぁみりーと、遠く敬愛して止まないあの人とが、つながった!前トークで次の曲が何かを知っただけで、パパから曲名を聞いただけで、もう涙腺が緩んでくる。僕にとって子門はそれくらい特別な存在。お約束過ぎる感動が待っていました。パパの歌唱も2人の女声に負けず劣らず聴く度に進化、子門真人のまともなカバーを聴けたのは映画版「電人ザボーガー」の高野二郎さん以来です。しかも、ラストのワンフレーズのオチがみごとに色を添え(直前の助詞からという所も絶妙)、雨上がりに虹を見つけたときのような、明るく爽やかな泣き笑いの一瞬が訪れる、という…。パパさん、「この曲のここ、どうにかならないものか…」といういたたまれない気持ち、僕も同じでした、ずーっと!いやあ、でき過ぎです、最高!!
 
音楽に関しては根っから「踊る阿呆」の僕が、得得の「見る阿呆」を満喫、ほんとうに楽しく充実した時間を過ごせました。大感謝。何だか遠慮して、ついつい自分のいたいタイミングよりも早めに会場を後にしてしまう(笑)のですが、アフターもみなさんともっと過ごしお話したかった…。